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2018.06.04

多様な『性』〜青翔高等学校いのちの授業〜

今日は、奈良県立青翔高等学校

『いのちの授業』に行ってきました。

参加していただいた大勢の親子さん。
大きなおなかの妊婦さん。
見学者さんたち。

総勢、大人子ども合わせて80名ほどが
集まってくださいました。

暑いなか、
本当に本当にありがとうございました!

今回の授業では
多様な性について、語りました。

男女が永続的に結びつくことを、
世間では『結婚』と言います。

そして、次世代の労働力を生産することを
世間では『出産』と言います。

パパがいて、ママがいて、
子どもがいる・・・

そんな家族形態が「正しいセクシャリティ」として
高い価値が置かれる一方で、

同性愛は不道徳。
子どものいない夫婦や、婚外子、片親家庭、連れ子再婚家庭、
実子と別居し親権を持たず養育してない家庭なども
不完全な家族形態だということで、
まだまだ差別の対象になっている現状があります。

でも、世の中の「普通」とされていることは、
作られた「普通」であって、
人の本能によるものではないとわたしは思っています。

ばぶばぶには、シングルママがたくさん来ますが、
「子育てには父親が必要だ!」
という偏見に満ちた言葉を浴びせられて
落ち込んだという話をしょっちゅう聞きます。

星野源の、family song
という歌をご存知でしょうか。

直訳すれば、家族の歌。

家族の絆を歌う曲って、
世間一般的な「普通」の家族を
持っているときには
素直にいい曲やな〜って聴けます。

パパがいて、ママがいて。
子どもがいて。
実家があって。

まぁいわば、
理想的な家族像というところでしょうか。

でも、例えば、今のわたし。

離婚して、一部の子どもと離れ離れに
暮らさなければいけない状況になって、
頼る実家もなくて、
婚姻関係にないパートナーとの間に
子どもを授かり、必死に生きています。

まぁいわば、型から外れたところで
生きている人からすれば
一般的な幸せな家族を歌う曲って
辛すぎて、聴けないんですよね。

普通ではない自分は、家族の歌は
聴く権利もないような気がして。
てゆーか、この幸せな世界観を作れていない自分を
否定的に捉えてしまったり、
「ごめんなさい」な気持ちにもなってしまいます。

family song も、曲名からして
その類かな〜と思っていたら
歌詞の斬新さに度肝を抜かれました。

星野源さん曰く、

血が繋がっていてもいなくても、
同性であっても異性であっても、
相手の幸せを本気で願う気持ち・・・
つまり、愛情があれば
家族と言っていいんじゃないか?
そういう多様な家族像が、これからは普通に
家族の風景になっていくんじゃないか。

いわゆる普通の家族じゃなく
規格外の家族像であっても、
大切な仲間だったり、ペットとの家族像だって
OKだ〜〜〜〜!

追い詰められたり孤独感を味合う人がいない
家族の歌を作りたかった。

というようなことを
語っていらっしゃいます。

これからの世の中、
男女間の婚姻関係を解消するカップルは
さらに増えていくでしょう。

男性同士、女性同士の事実婚関係を持つ家庭も
増えて行くと思います。

たくさんの学校に「いのちの授業」に行きますが、
LGBTの生徒がいるという情報を
事前に先生からいただくことは
珍しいことではありません。

LGBT
ご存知でしょうか。

LGBTとは、
女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、
心の性別と体の性別が一致しない、など
性的少数者の総称です。

LGBTは少数派ではあるけれど、
ある統計によると左利きの人の割合よりも
多いと言われていて、あなたのそばにも
いるはずなんです!

彼にとっては、本能にしたがっているだけ。
それが「普通」なんですよね。
誰もが例外なく、自由を求め、
自分らしく生きたいと願っているのに、
LGBTを偏見の眼差しで見るのっておかしくないか?
と思います。

また、学校でも、またばぶばぶでも。
家族との関係に問題を抱えた人は驚くほど多いです。

同性同士であっても、異性カップルであっても、
結婚しててもしてなくても、
そこに『愛』が存在し、穏やかな時間が流れる空間があるのなら、
そこに育つ子どもは、男親がいなかろうと、女親がいなかろうと、
愛情たっぷりに育つんじゃないでしょうか。

以前、ある学校で
こんなことをつぶやいた子がいました。

「自分はある男の子のことが好きです。
しかし基本的な性愛対象は女性です。
そして自身の性認識は、男ではしっくりこないし、
かと言って女性に近いというわけでもないです。
自分が何者なのかわかりません」

彼は、医学的性別としては『男性』ですが、
男性も女性も好きになる
バイセクシャル(両性愛者)であり、
性別違和を持つトランスジェンダーです。

それは異常でもなければ、
誇ることでもなく、卑下することでもないのに

彼は、同性を好きになる自分や、
男性である自分に違和感を覚えることに戸惑いを隠せません。
なぜなら、それが健常者ではないと思う傾向が
この社会に蔓延しているからです。

わたしは今、44歳ですが、
歳を重ねると「男女」の枠なんて
大して意味などなくなるんじゃないかと感じています。

そもそも、好きになるってどういうことか?

相手と一緒にいて楽しいことが「好き」なのか。
そこに肉体関係はあれば「好き」なのか。
いつでも一緒にいたいと思わなければ好きではないのか。

若い時は、

恋愛をして、ともに過ごし、
その延長上にセックスがあり、やがて結婚

という常識に何も疑問を抱きませんでした。
でも、40代になって見えて来たのは、
「愛」「生活をともにする」ための
人生のパートナーが
必ずしも男女の間でのみ成立される必要はないんじゃ
ないかと思うようになりました。

だって、誰の中にも
男性性と女性性、両方が潜んでいると思うんです。

例えば、わたしはばぶばぶに来てるママを
心から助けてあげたいって思った時、
思わずぎゅーって抱きしめたくなることがあります。

おそらく一般的な女性より
ちょっと男性性が強いんじゃないかと思っています。
だからかな?
学生時代から女の子によくモテました!!

恋愛対象は男性だし、自分の性に違和感はないので
LGBTではないと思っていますが、
わざわざ女子であることを演じることもなくなり、
一人の人間として、周りと関係性を構築できるように
なりました。

「家族」の概念も変わりました。
家族=幸せ みたいな図式は必ずしも成り立ちません。
家族=血の繋がり それだって怪しい。
だってそもそも夫婦は他人だもんね〜。

いろんな生い立ち。
壮絶な経験。
一見何の問題もない幸せな家庭で生まれても
悩んでいる人もいて、本当に多様。

それをさらっと包み込める自分でありたいし、
「いのちの授業」では、
そんな懐の深い価値観を子どもたちに
伝えていきたいなぁと思う今日この頃です。

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