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2016.03.18

命の選別

不妊治療の末、
待望の赤ちゃんを授かる女性が
ここ数年で急激に増えています。

40歳以上の高齢妊娠も
珍しくなくなりました。

昨年、紅葉の季節
ばぶばぶでも
不妊治療でようやく2人目の赤ちゃんを
授かったママが喜びの報告に
来てくださいました。

待ち望んで待ち望んで、
ようやく来てくれたいのち。
ずっと彼女を応援してきたこともあり
わたしにとっても本当に嬉しい知らせでした。

妊娠できることの奇跡。
大役を任されたことの喜び。
知らず知らずのうちに日々
すくすく育っていくいのちの強さ。
その神秘・・・

言葉にできないほどの感動を
体感する日々が始まりました。

妊娠初期から出血があったり
赤ちゃんの首の後ろに浮腫が見つかったり、
羊水が多めだったり、
なんとなく、1人目の妊娠のときとは違う、
漠然とした不安を抱えたマタニティーライフの
スタートとなりました。

妊娠5ヶ月。
週数に対して赤ちゃんが小さすぎるとのことで
大きな病院を紹介され
精密検査が行われました。

結果、おなかの赤ちゃんには
致死性の障害があるらしいということが
わかりました。

「致死性」っていうのは
おなかの中で亡くなってしまう可能性が高く
無事に生まれても数日・・・
がんばっても数ヶ月しか繋げない「いのち」
であることの宣告です。

このまま妊娠を継続するのか?
それとも妊娠を終結する選択をするのか?

選択的妊娠中絶術が可能なのは
妊娠22w6dまでなので
今後の方針を考え、決定する猶予は
たった2週間ぐらいしかありません。

まさに究極の選択です。
両親に委ねられる、これから進む道。

もちろん、最終的な判断は誰でもない、
この子の両親が下すべきなのは明確です。

・・・そうだけど!!
わかるけど。

残酷すぎます。

出生前診断技術はこれからもますます向上し、
いのちの倫理的問題が
もっとクローズアップされていくことと
思います。

道徳的には

「どんないのちにも意味がある」
「どんないのちも同等に尊い」

それは、紛れもない事実です。

障害を持って生まれてきても
その特性・個性を活かして
その子なりの素敵な人生を歩んでいたり、
障害を支える家族愛がテレビなどで放送されています。

そういうのを観ると

素敵だなぁ。。。
やっぱりいのちって、すごいなぁ

そう思う反面、
特集されている内容は、
障害に対する美談の部分に
他ならないよなぁ・・・とも思います。

テレビで見るような
キラキラ人生を謳歌している障害児は一部で
大勢の子は
常にストレスと孤独と我慢との戦いのなか
必死に生きている現実があります。

いのちの授業では、子どもたちに

「あなたがここに生きていてくれるだけで
 十分です。ありがとう」

と伝えています。

でも・・・

視点を変えて考えれば
「生きているだけでいい」
なんてのは、所詮、健常者のエゴかもしれない。

出生前診断については

「命の選択につながる」
「ではこの子は産まれない方がよかったというのか?」

という批判があります。

もちろん、
生まれてきた命を否定する権利は
誰にもありません。

だけど。
致死性の障害を宣告された子を
堕胎するという決断をする夫婦を
「命の選択」「勝手な選択」と
批判していいのでしょうか。

確かにおなかの中の命はすでに命で
小さな心臓は力強く生きようとしていて
その後の未来を楽しみに待っているのだけど・・・

今いる子どもたちの幸せのことや
実際に療育していくことへの覚悟、
自分の限りある人生を大きく変える決断について
・・・わたしには批判することはできません。

産まない選択も
優しさと責任ある選択のひとつなんじゃないかと
思うのです。

幸せの基準は人それぞれで、
健常児だから幸せとも限らないし、
逆に障害児だから不幸になるとは限らない。

と思うのだけど。

だけど・・・・

わたし自身は、
おなかの中で双子のひとりを失ったこと、
手術が必要な初期流産を数回経験したことは
あるけれど、
妊娠中期以降、いわゆる「安定期」に入ってから
自分のおなかの中で育っている赤ちゃんに
重度の障害があると宣告された経験はありません。
ましてや妊娠の継続、究極の選択を
課せられた経験もありません。

もし。
自分がそんな宣告を受けたなら
わたしが彼女の立場だったら

どうするんだろうか・・・・

考えて考えて
眠れなくなるほど考えたけど
答えを出すことができませんでした。

出生前診断でわかる障害は
たくさんある中のほんの一部の
先天性染色体異常だけですが、
昔なら生まれるまで知りえなかった病気や障害を
胎児期に見つけられることは
適切かつ早期の治療に繋げることができる点では
本当に飛躍的なことだと思います。

将来、もっと医学が進んだら
発達障害や知的障害なども
事前に予防できる何かが
できるようになるのかもしれないし

妊娠したと同時に
もっとさまざまな種類の
障害がわかるようになる時代が来るかもしれません。

出生前診断は
多分これからどんどん発達していき
方法も低リスクの簡単なものになり
費用も安くなるのだろうと思います。

でも、治療が有効な病気や障害ではなく、
彼女の赤ちゃんのように
治療の施しようのない
運命的な先天性異常だったら・・・?

産む?
産まない?

わが子に障害がある。
寿命はとても短いかもしれない・・・。
そんな事実をいきなり突きつけられて
産むかどうかを決断しろと迫られるのは
身を斬り裂けれる思いです。

寿命の短さだけではなく、
パパママにとって障害のある子を育てていくことは
並大抵の苦労ではありません。

障害児の療育には国から補助が出るため
ある程度のお金は援助が得られますが
健常児を育てることと比べると、
お金では解決できない問題があるでしょう。

さらに、上の子がいる場合には
その子にも将来負担がかかることも
考えなくてはいけません。

決して出産を決意した方を
批判するつもりはないので
ひとつの意見として読んでいただけたら、
と思いますが

「障害があってもわが子だから、産む」

という単純な気持ちだけで
産めるものではないと思うのです。

出生前診断による中絶は
「命の選別」なのでしょうか?
身勝手で弱い人間の下した選択なのでしょうか?

障害児を育てる途中で
パパやママが病んでしまったり
兄弟の人生が上手くいかなくなったり
ときには夫婦関係がギクシャクして
離婚になるケースも
珍しくはないわけで。

結果として家庭が壊れるのが
予測できるような場合は、
産まないことも悪ではないと思います。

もちろん
人間には色々な可能性があるから
幸せな生を賭けて障害のある赤ちゃんを産むことも
ありだと思います。

その子のおかげで深い学びと
感動が得られるという素晴らしいケースだって
あります。

産む、産まないの
どちらも否定できるものではないのに
『命の選別』なんて言葉を
使うこと自体が、そのような現実を
突然突きつけられた夫婦を追い詰めることに
なるんじゃないのかなぁ・・・って
考えれば考えるほど
複雑な気持ちになります。

『神様は解決能力のある者に
無理難題を与えられる。
あなたなら乗り越えられると判断されたから
この子はあなたのところに来たのよ』

という励ましもあります。

その言葉で救われることも
あるかもしれないけど
同時に、この言葉って
無責任で人任せな残酷な言葉です。

要は
『あなたは選ばれし素晴らしい人間。
わたしなんかには到底真似できないわ』

ということですよね。

もちろん命は大切で重くて
どんないのちも限りない可能性に満ちています。
偉大な力に賭けてみたい!
希望を捨てたくない!

とはいえ、障害のある子を
家族として受け入れるということは
キレイごとだけで語れることでもないし、
決断できることでもありません。

だからもし彼女が妊娠の継続を諦めたとしても、
それは『命の選別』ではなく
自分や家族の生活、心身の健康を守るための
苦渋の末の勇気ある決断だと思うのです。

彼女が話してくれました。

「この子がわたしのところに
来てくれた意味・・・

このごろ夫婦の会話がなくなっていた
わたしたち夫婦が、
じっくり向き合い、話し合う時間と
その大切さを再確認するため
だったのかもしれません。

少なくともこの子は
現時点で夫婦の時間を与えてくれました」

うん。そうだね。
この子の存在の意味。
それは必ず、あるよね!!

これから彼女が
どんな方向に進むとしても
わたしは寄り添っていきたいと思います。

「命ってなんだろう・・・」

再び、考えさせられる
できごとでした。

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