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2020.02.14

現場感と臨場感!キレイごとじゃあかんねん 〜沖縄・いのちの授業〜

いのち、人の尊厳、誕生学、死、
そして性教育・・・

これらは、日々さまざまないのちと向き合う
助産師が行う出張授業のテーマの定番です。

行政から補助金が下りるなど
沖縄県でも注力して多くの中学校が
学校内外の機関とともに取り組んでおられます。

そんな中、

昨日は那覇市の中学校で
今日は沖縄市の中学校で

微力ながらわたしも
『いのちの授業』をさせてもらってきました!
(まだ大阪在住なのにありがとうございます)

いつものように
ぶっちぎりの弾丸トークの授業
大阪弁についてこれたかな・・・(^_^;)

授業後に
沖縄の校長と養護教員に言われました。

「最初は、どうせいつもの
 『いのちの授業』だろうと思ってました。
 それが、なんですかこれは。
 度肝を抜かれました!」

「集中力のない生徒たちが
 誰ひとり居眠りすることもなく
 食い入るように聴くなんて・・・
 こんなことがあるのかと本当にびっくりしました」

ばぶばぶの『いのちの授業』は
〝いつもの〟とは違う授業だったようです。

お役に立ててよかったです!(^_^;)

学校で行う性教育や道徳授業、
また、外部からの出張授業も行っているけれど、
子どもたちの心に刺さる内容にはなかなか至らず
難しさを感じているという話をお聞きました。

学校での『いのちの授業』は
確かに難しいと思います。
それは大阪でも、他の地域でも同じです。

なぜなら、
日々ともに過ごす生徒と先生の適度な距離感は
とても重要だからです。

距離が近すぎてもいけないし、
遠すぎても子どもたちは心を開きません。

慎重になればなるほど
未確定のことに言及できなくなり、
どうしても論述が保守的になります。

保守的な授業は、
「ありきたり」と紙一重になる可能性があり、
内容もキレイにまとまった理想論になりがちで
子どもたちの心にワクワクを芽生えさせることは
できないでしょう。

さらに先生は、
管理職からOKが出なければ
大胆な話はできません。

つまり、
『いのちの授業』に熱意を持った先生も
自由に企画できないわけです。
学校の先生は本当にたいへん。
葛藤があるだろうなぁといつも感じます。

その点、わたしは学校外部の人間です。
つまり、このようなしがらみがありません。

もちろん大胆不敵な無責任発言を
引け散らかす授業をしておいて

「後の子どもたちへのフォローは先生よろしくね♪
 ではさようなら〜」

では大問題ですが、

基本的に自由に授業ができる立場にいます。

『いのちの授業』の中でも、性に関する内容は
とくにとてもデリケートな問題であり、

子どもたちにどこまで伝えるのか?
どこまで伝えていいのか?

おそらく、
大人みんながそれぞれの価値観を持っていて
温度差があると思います。

わたしが行う『いのちの授業』は、
フルオープンで直球を投げるので

沖縄の2つの中学校のように
「最高でした!」
と言ってくださる場合もあれば、

「やりすぎでは?」と不快感を
感じる人もいると思います。

でも、批判されることを恐れていては
子どもたちが本当に知りたいことを
逃げも隠れもせず、きれいごと抜きに
まっすぐに伝えることはできないから。

フルオープンで話すと子どもたちは
身を乗り出すようにして耳を傾けてくれます。
冗談を言えばのけぞって笑ってくれます。
そしてとても素直に涙ぐみます。

人間は、メッセージの約80%を
ボディランゲージで伝えていると言われます。

ボディランゲージとは
態度、姿勢、表情、視線などのことで
例えば退屈な授業であれば
あくびを連発するだろうし、
興味ある話であれば目を輝かせるでしょう。

『心の動きが仕草に表れること』

これがボディランゲージで、
人間は誰しも無意識のうちに
相手の仕草から真意を探っていると言われます。

わたしは『いのち』の専門家です。
だから、専門ド真ん中の凄みを伝えたいのです!

わたしが自ら体験したこと、
その場を知っているという生々しさ。
現場感、臨場感こそが子どもたちの心を打つのです。

「教科書にこう書いてありますね〜」

ということでは

「あ〜そうですよね。
 それってみんな言いますよねー」

で、おしまいです。

多感で大人の言うことを
いちいちひねくれてとらえる傾向の
思春期まっだなか、中学生を唸らせるには

今の時代を生きる実際の子どもたちの状態、
現場を歩いて足で集めたデータや
彼らの生の声など

学校の先生には届かないレベルの
とても重要な実態を
えぐり出すしかありません。

教科書にある、
『子どもに教えたい大人都合のキレイな結果』
だけを理路整然とまとめて発表するような授業構成は
子どもの胸を打つ域には至りません。

どうしても
「だから、こうです」と言いたくなるのが
わたしたち大人ですが

「ハイハイ、またキレイごと〜」

賢い彼らにはすぐにバレてしまいます。

子どもたちの興味のある共通の話題などに振って
まず関心を持たせ、徐々にわたしの分野に
話を引っ張っていきます。

誰が聞いてもおもしろいような話や
ジョークを話せばまずはつかみができます。

結局、子どもたちが何に興味を持っているかに
まったく注意を払わず、
ただ自分の話したいことを話してもダメなんですよ。

授業をしながら
聴いている子どもたちをよく観察します。

寝てる生徒がいないか?
つまらなそうな表情をしていないか?
隣の子とヒソヒソ私語がないか?

彼らの反応に応じて
適宜、話す内容や声の高揚、話すスピード、順番
常に相手の気持ちになって考え
スタイルを臨機応変に変えていきます。

話すことだけに
100%自分の注意が向けられてしまうと
一方通行のコミュニケーションになってしまいます。
これではよい授業ができるわけがありません。

子どもの理解度が低そうな雰囲気を感じたときは
もっと詳しい説明や具体例を出して
わかりやすい内容に変更していきます。

質問を投げかけたほうがいい空気感のとき、
そうではない場合もあります。

あるべき授業とは
聴く側が話す側と同じ問題意識を共有し、
キャッチボールで議論が進むことだと思います。

教科書に載っているような

「いのちは大切です」
「いのちは尊いです」
「いのちはたったひとつしかありません」

そんな抽象的なレベルの
当たり前な話をいくらしたって
具体的な問題は子どもたちには伝わりません。

「いのちは尊い」

そんなの学校で保健体育や道徳の時間に
耳にタコができるぐらい聴いてるわけで
そんな話だけされても、
まったく興味をそそられませんね。

彼らが聴きたいのは、実際のところ具体的に
どんないのちの物語が産婦人科の現場でで起きていて、
その問題点は具体的に何か、

ということなんだけど
一般的に、性教育やいのちの授業で
具体的な話はあまりされません。

だから「そんなの知ってるよ」
という話に終わってしまうのです。

質疑応答にしても、
子どもたちは突拍子もない質問を投げかけてきます。

議論を深める場での理想的な質疑応答は
子どもたちから新たな疑問点が湧いて議論になり、
興味をさらに深められるようなものだと思います。

今日、ある中二女子から

「射精とおしっこはどうやって区別するの?」

という質問がありました!

ブラボー!
すごい着目点です!

「どちらもペニスの先から排出されるのに、
 内部では尿が通る道と精液が通る道はちゃんと分かれている
 人間の体ってすごいよね!
 でも、わたしは女性なので、
 おしっこの出る感覚と射精の感覚の差が
 さっぱりイメージすることができません。

 両者は違うの?
 どうなの?男子たちー?
 教えてよ!」

と、わたしは答えました。
というか、逆に質問返ししてますね(笑)

質問への答え以上の疑問が湧いて
みんなで考えてみる。
おもしろいではないですか〜!

正確で完璧な答えが返せないと
演者のイメージが悪くなる?

演者が自分を守りに入るキレイな質疑応答をやっちゃうと
もう子どもたちはついてこなくなります。

「排尿と射精は同じところから行われます」

この答えは正解なんだけど、
完全に演者が守りに入った答えだと思うんですよね。

質疑応答からさらに拡がりを持てるような
ユニークな答えを子どもたちに返してあげられなければ

演者の器の大きさ、
子どもたちに対する興味が本物なのか否か
簡単に見破られてしまいます。

『授業をおもしろくしよう』

それがわたしの目標です!

ママ向け講演でも、

「講演会のための資料や流れを準備してきたけど
 今日のみなさんを見て、
 つかわないことにしました!」

ということをしょっちゅうします。

どんなにいい資料を作ってきても
それが刺さらなければ意味がないから。

さて、気持ちを切り替えて
明日は名桜大学でママ向け講演会です。

楽しんできます!

【新登場】よりお得に、大容量になった「新マシュマロ」を大発表するで〜!
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