HISAKOブログ

『子どもの成長が当たり前になる日の、わたしに向けて』

komorebi - 『子どもの成長が当たり前になる日の、わたしに向けて』

ばぶばぶには常に
「大丈夫かなぁ・・・気になるなぁ・・・・」
というママがいます。

限度を超えたレベルで
子育てに行き詰まっていたり、

夫婦関係でボロボロになっていたり、

おっぱいトラブル頻発で
心身ともに崩壊寸前だったり、

本人は気づいていないけど、
産後うつ、もしくは予備軍だと感じるママもいます。

医療者立場で、
専門家による介入が必要だと思われるママたちについては
助産師としてとくに注意深く見守り、
ときには各専門分野のプロフェッショナルとも連携しつつ、
総合的なケアを心がけていますが、

毎日、ばぶばぶに来れるわけでもないし、
毎日、専門家による支援を得られるわけでもありません。

家にいる時間・・・
彼女たちがどう過ごしているか

大丈夫かな・・・

想像すると落ち着かず、
心配で心配でしかたがありません。

妊娠6ヶ月からの産前おっぱいケア開始以来、
波乱万丈の出産、苦行のような母乳育児を経て
1歳過ぎの断乳まで
かなり密度濃く関わらせていただいた有沙ママ。

産後まもなく、
あの頃の彼女のことは今も鮮明に覚えています。

わたしにとって有沙ママは
『心配でたまらない』の1人でした。

もともとは、アクティブで
ユーモアあふれる人柄。
明るく、ムードメーカーのような人。

それが一転、

予定外の帝王切開から始まり、
赤ちゃんの体重増加不良、
小児科や保健センターからの配慮に欠けるアドバイスに
屈辱を味わいました。

おまけに頻発するおっぱいトラブルが重なり
産後半年間は、
心身ともにかなり危機が続きました。

ばぶばぶに来て
わたしの前で「しんどい」って
泣いてくれているうちはよかったんです。

「わが子をかわいいと思えない」
「誰もわたしのことをわかってくれない」

次第に表情が乏しくなっていったときには
どうしようかと思いました。

旦那さんが
彼女をしっかり支える器量をお持ちだったことが
救いでした。

ーあれから2年。
子どもは現在2歳8ヶ月になりました。

ママも、すっかり笑顔が増えて
今はかわいい息子との毎日を
楽しめるようになっています。

『こんなはずではなかったお産』
『こんなはずではなかった子育ての始まり』
『こんなはずではなかった母乳育児』

これらの苦い経験が、
ブロガーとしての彼女の文章へ反映されています。

経験したからこそ、
同じようにがんばっておられるママの心に
直球で入っていくのだと思います。

有沙ママの、以下のブログ、
ジーンと胸が熱くなりました。

多くのママが共感できる
素敵な内容だと思います。

ぜひ、読んでみてください!

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『子どもの成長が当たり前になる日の、わたしに向けて』

「なあ、いつから親は
子どもにいろんな期待をかけてしまうんかな?」

夜中のキッチン。

息子の寝息と、小さい音で流れるYouTubeの音。
お湯を沸かしている夫に問いかけた。

ーー
息子は2歳2か月。
ここ最近急激に言葉が発達してきて、

簡単な会話ができるようになった。
「ごはん食べる?」
「たべる!」
「おかわり欲しいひと~?」
「はああい!」
「おかあたん、ちょーらい」(お菓子のお代わりを要求)
「おはよう、おたあたん」(朝いちばんの可愛いご挨拶)

私たちはそのひとつひとつに、
いちいち感動し、
やんややんやと大喝采だ。

ああ、あんなに小さくて

乳を飲むだけだった息子が、
どんどん人間らしくなっていってる…!!

成長ってすごい!神秘やなあ…。

寝かしつけて、
自分もお風呂に入って(息子のお風呂は夫が担当)。
洗濯も干して、ぼんやりできるひととき。

今日の息子もかわいかったね、
あんなこと喋れるようになったなあ…と夫と話していた。
ほんと、すぐに大きくなって…
どんどんできることが増えて‥‥

ん?
んんん???

ふと引っかかる。

私たちも小さいころは
こうして成長してきたわけで。

そして親や周りの人たちは、
それに大喝采を送ってくれていたのだろう。

ということは、
昔はこんな風に「歩いた」「喋った」
それで充分幸せで、子どもが誇らしくて…。

いつからそれが当たり前になった?
いつから子どもにもっともっとと、期待を押し付けるようになった?

私「なあ、今はこうやって喋ってくれるだけでも嬉しいやん?」

夫「うん」

私「でもさあ、それがいつの間にか当たり前になって、
喋れて当たり前、一人でできて当たり前…。
いつから親は、子どもに親の期待を押し付け始めるんやろうね。
今は、もうこれで充分やのに」

いつか息子が当たり前に喋って、
ごはんも綺麗に食べられて、
おむつも外れてトイレができて…
そんな風に「普通にできる」ことが増えていったとき。

私たちは、
今味わっている幸せを忘れて
「もっとこうなるように」「あれもこれもできるように」
と要求してしまうのだろうか?

自分が親や周りから押し付けられて嫌でたまらなかった、
こうあるべき・ああするべきを、
息子にも押し付けるのだろうか?

今はもう、これで充分と思えているのに。
歩けることも、喋れることも、
小さな頃に私たちが必死に身に着けたこと。

それがいつの間にか当たり前になり、
褒められなくなり、もっともっとと求め始める。

当たり前に思っているそれは、
当たり前じゃないし。

きっと、
息をしているだけで、もう充分すごいのだ。

息子には、なるべく私たちの期待や
「べきねば」を押し付けずに育てたい。
期待をすることと、それを押し付けることは違うから。

「そんなきれいごとで子どもが育てられるか!!」
という声が聞こえてくるけど、
心の片隅で意識しているだけでも、少しは違うはずだ。

君が喋れること。
当たり前になる日が来た時に、
これを読んで思いだすよ。お母ちゃんは。

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